すぐそこにある異世界そのにっ!
どうでもいいが、さてがちゃがちゃである。
昔はなんと呼んでいたか定かではないが、私が子供のころにも同様のものはあったと思う。ただ、やってみたことはない。あれは脳みその足りない男子がやるもので、女子はあんなクッダラナイことはしないものであると思っていたような気がする。しかしおとなになって気がついてみると、いまのがちゃがちゃはみょうに楽しそうなのだった。そして秋葉原には、その楽しそうながちゃがちゃがずらりと並んだ店が存在していたのである。私たちは見えない糸に引かれるようにふらふらとその店に入り、いそいそと財布を取り出していたのであった。よく考えるとおばさんふたりでうれしそうにがちゃがちゃをやっている図というのは恥ずかしいものがあるが、さらに恥ずかしかったのは不器用なせいかうまく出すことができず、店の人に頼んで出してもらう破目になってしまったことである。せっかく生まれて初めてがちゃがちゃをやったのに、自分で出せなかったのがたいへんくやしく心残りである。しかし私をオタクとののしっていながら、友人のほうこそ「あっやわらか戦車だ!」「あっサイボーグ009だっ!」とやたらにうれしそうであり、その喜びようはかなりオタクっぽかったのであった。
かくてがちゃがちゃを楽しんだ私たちはすっかり秋葉原を堪能した気になったのだが、駅前に引き返してみて私はあることに気がついた。駅前のこぎたないビルにあの海洋堂のショップが入っていたのである。海洋堂と言えば、お菓子のおまけについている、ではなく、お菓子がおまけについている小さくて精巧なフィギュアのメーカーではないか。テニエル画のアリスの挿絵を立体化したフィギュアもすばらしかった。というわけで私はアサハカにも、これはのぞいてみなくてはなるまいと思ったのである。なぜそれがアサハカであったかというと、そのショップの入口でワタクシたちを待っていたのは、
だったからである。
驚きのあまり言葉をなくして突っ立っている私に向かって、友人は「等身大ってさあ、あのマンガにはケンシロウの身長なんか書いてあるの?」とあまりにもクールな突っ込みを入れてくれるのであった。あのなーおまえ突っ込むところはそこじゃないんじゃないのか。おまけに「ケンシロウって頭が小さいんだね」って……きみあのね、もういいから私の驚愕に水をささないでくれたまえ。
とりあえず気を取り直してショップのなかに入ってみました。ケンシロウの等身大フィギュアを見たあとはもうなにを見ても驚く気にはなれなかったのだが、海洋堂というのは私が想像していたような健全なお子さま向けメーカーではなく、むしろ不健全なお兄さま向けメーカーである(と言いきってしまうのはちょっとアレだが)ことだけはよくわかった。そうだよなあフィギュアっていやロリだよなあと思いながら、童顔で胸だけ異様にでかい女の子のフィギュアとかエヴァンゲリオンの包帯した女の子の見事なフィギュアとかをぼうぜんと鑑賞するうちに、なんだかせつないような恐ろしいような気持ちになった。たしかにすごく精巧にできている。二次元の絵をこれほど完璧に三次元にできるその技術力はすばらしいと思う。しかし、その技術力を発揮する方向性が根本のところで完全にまちがっているのではないだろうかと、見れば見るほどなにか違う感がふつふつと沸き起こってくるのだった。時間のせいかお客さんはあんまり多くなかったのだが、私たちのあとから入ってきた若い男性二人組が、食い入るように商品を眺めながらなにごとか熱心に論じ合っていたのもなんとなくとってもあやしく不気味でございました。
おまけにショップを出たあと友人に、「ねえこんなとこに入りたがるなんてアンタやっぱりオタクだったんじゃないの」と言われ、半泣きで反論しなくてはならなかったのもつらかったです。そのうえ可愛いと思って買ったがちゃがちゃの中身が……可愛い女の子がぺたんと座ってプリンを食べているフィギュアだったんですが、ぺたんと座っているのでスカートがこう広がってて足が見えないわけなんですけど、なんの気なしに引っくり返してみましたら、広がったスカートの内側までしっかり作ってあって、可愛い白い「パンティ」が見えているわけですよ。それを見て、ああ秋葉原だなあ……オタクだなあ……気っ持ちわりーんだよっっっ!!(怒)としみじみ思ったのでありました。そしてまたしても友人に「なんでそんなの買うのよ。アンタやっぱり(以下略)」と言われたのがとてもツラかったです。まさかこんなことになってるなんて知らなかったんだよぉぉぉ!!
そういうわけで、ごくフツーのおばさんにとって秋葉原はとっても異世界でとってもこわいところでございました。でも友人は、がちゃがちゃでゲットしたやわらか戦車のストラップがたいへん気に入り、コンプリートするためにまた秋葉原に行きたいと言っているのだった。まあなにはともあれ、秋葉原に行っても海洋堂のショップには二度と足を踏み入れないことにしたいと思います。やっぱほら、場違いだしねっ!!
すぐそこにある異世界そのいち
先日、久しぶりに遠方の友人が遊びに来てくれた。
私は出無精なので、自分から思い立っていわゆる「東京名所」というものに足を向けることはまずない。であるから、彼女が遊びに来てくれるのをたいへん楽しみにしている。必然的に「東京名所」に遊びに行けるからである(だったらふだんから行けよと思うが、そこが出無精の出無精たるゆえんである)。今回はやっぱりミッドタウンかなそれとも新丸ビルがいいかなと思っていたのだが、どこへ行きたいか希望を聞いたら彼女が言うのである。
秋葉原に行ってオタクが見たい。
気絶しそうになったワタクシは、言うにこと欠いてなんてことを、そんな失礼なことを言ってはいけない、オタクと言ってもごくふつうの日本人男子であり、そんな珍獣みたいな扱いをするのはまちがっているとじゅんじゅんとさとしたりはせず、そんなの見ても気持ち悪いだけだからやめようと説得したのである。しかし彼女の決意は固く、その気持ち悪いのがどれぐらい気持ち悪いか見に行きたいと言う。やけになったワタクシは、そんなに気持ち悪いものが見たければコミケに行くほうがいいと言い放ったのであるが、なんと彼女はコミケがなにか知らなかったので、そこがいかに気持ちの悪い場所であるかということを大げさに吹聴したところ(このあたりで当初の目的をすでに見失っているわけだが)、彼女は冷たくそんなことを知っているのはあんたがほんとはオタクだからであろう、だから秋葉原に行って正体を表すのがこわいのであろうなどととんでもないことを言うのである。コミケにしょっちゅう行っているというのならともかく、たんに言葉の意味を(それもかなり偏見混じりに)知っているというだけでオタク扱いされては心外である。そこまで言われてはしかたがない、よしでは秋葉原に行こうではないか後悔するなよと無意味な脅迫の言葉をはきつつ、しょうことなくワタクシたちは秋葉原に足を向けたのであった。
秋葉原の駅から外へ出ると、そこには異世界が広がっていた。私自身は秋葉原に来るのは初めてではないが、ふだんは切羽詰まってパソコンショップに飛び込み、目当てのものを買うとそそくさと帰っている(私がパソコンを買いに行くのはつねに切羽詰まったときなのである)。しかし、観光目的で眺めてみると、この街はたしかに異様な街なのであった。若者がおおぜい歩いているのに、あんまり笑ったり話したりする声が聞こえない。オサレなお姉さん、いわゆるトーキョーのオンナノコがほとんど見当たらない。そして似たようなダサイかっこうをした顔色の悪いお兄さんたちが、なにかみょうに思い詰めた顔をしておおぜい歩いている。街を歩いている若者なのだから定義上はシティボーイと言ってまちがいでないはずと思うにもかかわらず、口が裂けても言えないし言いたくない。友人も急におとなしくなってしまい、おばさんふたり、無言で秋葉原のだだっぴろい歩道を歩いていたのであった。ところがそのとき、私たちふたりはいままで口には出さなかったが同じことをやってみたいと思っていたことが明らかになったのである。それはがちゃがちゃであった。
長くなったので無意味に次回に続く。
名も知らぬ遠き島よりではなく
記号の名前がわからなくて困ってしまったのである。
§ ‡ † ¶
英文を読む人なら、こういう記号にはたぶん見覚えがあると思う。最近はあんまり見かけなくなったような気もするが、たぶんそれはみんなが論文をワープロで書くようになって、パソコンですぐに出せない記号を敬遠するようになってしまったからだろうな。しかし今日、この記号の名前を書かなくてはならなくなって、はたと気がついた。知らんぞこの記号の名前。どうしたらいいんだ。前にも書いたような気がするが、名前さえわかればいまの時代どんなことでも簡単に調べられるのに、逆は異様にむずかしい。グーグル時代の落とし穴である。
この記号を出力することじたいは簡単である。ワープロの記号辞書にすべて入っているから、クリック一発で出力できる。というわけで、とりあえずグーグルの検索窓にこの記号をぶち込んで検索してみた。聞いて驚けなんと1件も引っかからなかった。たぶんアスキーコードだかなんだかに入ってない記号は検索の対象外なんだろうな。ほとほと困ってしまったが、グーグルで検索できないと、もう調べる手段をほかに思いつかないという事実がいちばんショックだった。21世紀の文明は、グーグルが使えなくなったら一夜にして消滅するね。
いや、21世紀の文明なんかどうでもいいのだ。私にとってはこの記号の名前がわからないことのほうが、文明の存続よりはるかに深刻な問題である。でどうしたかというと、ワープロの記号辞書の一覧をわらにもすがる思いで表示させてみた。もちろん記号はずらりと出るけど、記号の名前なんかどこにも書いてない。やっぱりだめかーと思いつつ、なんの気なしにポインタを当ててみたら、なんとポップアップで説明が出るではないか! ばっちり名前も書いてあるじゃないか!! えらいぞワープロ辞書!!! というわけで答えを書いておくと、左からセクションマーク(section mark)、ダブルダガー(double dagger)、ダガー(dagger)、段落標(paragraph markまたはpilcrow)である。名前さえわかればあとは英和辞典で確認はばっちりとれるし、意味もすぐに調べがつく。ノープロブレムである。以前、バーベナという花の名前がわからなくて困ったことがあったが、いや実際、名前のわからない花とアスキーコードに登録されていない記号ほど厄介なものはありませんな。
どうでもいいけど
昼間は暑くて眠いのに夜は暑くて眠れない。くそどうしろっちゅーんじゃ。
それはそうと、いろんな意味で唐突であるが数年前にやった原稿がいきなりゲラになって出てくるとちょと困る(いやもちろん、ゲラにならなかったらもっともっと困るわけであるが)。私はたいてい原書を二冊用意し、一冊はばらして翻訳作業のときに使うことにしている。で、疑問点などあります場合はお気軽にお問い合わせではなくこのばらしたほうに書き込みをしているわけである。ゲラ見るときはこの書き込みを見て、ちゃんと調べたかどうか確認するのでこのばらした原書はゲラが出るまで大事にとっておくのだが、ゲラがなかなか出ませんとそれがどこかに行ってしまうわけです。行ってしまうつったって足がはえてるわけじゃないんだから正確にいえば私がどこかへやってしまうわけであるが、恐ろしいことにどこへやったかまったく記憶にございません(記憶にありゃ探さなくたっていい道理である)ので恐怖!原書がどこかへ行ってしまったよ怪奇大作戦になってしまうわけである。とまあそういうわけでバラバラ死体ではなくバラバラ原書を探すので半日つぶれてしまい結局見つからないという深刻な打撃を受けてしまいました。探してるあいだも暑いし眠いし汗みどろだし、それで見つかりゃいいけど見つからないのでほんとにもう生きているのはただそれだけでつらいことだと知りましたって、生きてるだけなら別につらくないんだけど探しものが見つからないと探すのをやめたとき見つかることもよくある話かもしれないがもうどうでもいいけど暑いです。
できないと思っていても ついできると言ってしまうのよ
いいじゃないか 翻訳屋だもの
――詠み人知らず
暑い
世の中には、わざわざ口にしないほうがよい言葉というものが存在する。その筆頭が「暑い」だ。これに限らず、不快を表す言葉はおしなべて口にしないほうがよいとされるわけで、たとえば「痛い」とか「苦しい」とかもそうである。要するに言ってもしょうがないことは言うなということであろう。それで思い出すのは幼少のみぎり、おたふく風邪で顔が腫れ上がったワタクシが「顔が痛いよー」と言って泣いたところ、「病気なんだからしょうがないでしょ」と母に冷たく言われたのが子供心にもそりゃそうだけどもうちょっと言いようというものがあるのではなかろうかといまでも心の傷になっていたりするわけであるが、それはともかくとして、とりあえず「痛い」「苦しい」はあくまでも個人的感覚であり、これを口に出す場合はなにか手を打ってもらいたいという希望願望が言外に含まれていたりするわけである。しかし「暑い」はそうではない。これこそほんとに言ってもしょうがないことの王様であり帝王でありチャンピオンである。似たような言葉に「寒い」があるが、これはとりあえず厚着をしたり布団をかぶったりすればなんとかすることができるわけであり、冬山で遭難したりしていてそういうことができない場合はもう言ってもしょうがないというより死んだも同然なので言ってる場合ではないわけであって、やはり「暑い」の言ってもしょうがなさ加減は他の追随を許さないぶっちぎり大勝利と言えるであろう(自分でももうなにを言ってるんだかわからなくなっています)。ああああしかし言ってもしょうがないとわかっていても口に出さずにはいられない今日の暑さよ。
しかし、八月というのはじつはもう夏の終わりなのだ。昨夜、例によって運動不足解消のため非常階段をのぼっていたら、セミが二匹も死んでいた。風が強かったから吹っ飛ばされてしまったのかもしれないが、まことに気の毒なことである。とこんなことを書いて暑さを紛らそうとするのも姑息なことである。ケチケチしてないで冷房入れろよ。
参議院選挙
明後日は参議院選挙である。選挙カーがやって来ても「ああまたか」てなもんであるが、先日はいささか驚いた。みょうに荘重な音楽が流れたので右翼かと思ったら、「……大統領の……」という言葉が聞きとれた。なんだなんだと思っていたら、やがて「アルベルト・フジモリ」という名前が! ご本人が乗っていらしたらしく、けっこう流暢そうな日本語が聞こえてきた。どうやら、ペルーで大統領をやった経験を生かして、日本を北朝鮮の脅威から守りたいと言っていたようだ。なぜか必死で聞こうとしているときにかぎって選挙カーというのはあっさり行ってしまうものであり、それ以上のことはよくわからなかった。
フジモリさんが選挙に出馬する?という噂はどこかで聞いたような気がするが、ほんとに出ていたとは知らなかった。情報弱者の面目躍如である(なにかまちがっているのは自覚しています)。こないだ来た選挙公報をよく見てみたが(←ちゃんと読んでなかったもんで)、どこにも見当たらない。おかしいなあと思ってよくよく見たら、国民新党とかいういかがわしい、と言って悪ければ得体の知れない、と言っても悪ければよくわからない政党から立候補なさっていたようだ。それも党首とかならまだわかるが、小さな写真がその他おおぜいといっしょに埋もれていて、なにか言いようのないもの悲しい気持ちになってしまった。せめてもうちょっとちゃんとしたとこから出ればいいのに。きっとだれかに言いくるめられちゃったんだろうなあと思うのは、一国の大統領まで務めたかたに失礼かもしれないけどさ。
日本を出てペルーに移民して、移民した先で大統領にまでなって、そのあと汚職かなんかで国にいられなくなったとはいえ、たいていの日本人はフジモリさんを尊敬、とは言わないまでも、えらいなあと思っていた(あ、これが尊敬か)のではないかと思う。少なくとも私はそう思っていました。汚職とか言っても、ペルーみたいなやばい国では清廉潔白じゃやってけないんだろうしなあ、目立っちゃったから叩かれちゃったんだろうなあ、とも思っていた。それなのになあ、なんで日本で国会議員になんかなろうとするのかなあ、晩節を汚すってこういうことだよなあ……としみじみ思って気がついたのだが、日本で国会議員になるというのは晩節を汚すことになるんでしょうか。なんかまちがってるような気がするが、しかしこれが実感であるということが、いろんな意味でたいへん深刻にまちがっている気がするのだった。
アンケート
楽天会員なので、ときどきアンケートのお願いメールが来る。ポイントがつくから、せこい私はけっこう喜んでほいほい答えているのだが、わりと頻繁に「あなたの年収を教えてください」という項目がある。こんなところで見栄を張ってもしょうがないのはわかっているのだが、ついついあんまり嘘にならない程度にサバを読んで(だと逆の意味になるのかなこの場合)多めに答えてしまう自分がちょっと情けない。
しかし、先日のアンケートはたいへん潔かった。「あなたの世帯年収を教えてください」で、選択肢がこうだ。
- 5000万円未満
- 5000万〜1億円
- 1億〜2億円
……と来て、最後の選択肢は「10億円以上」だった。単位がペソなんじゃないかと思ったよ。さすがにこのときはサバを読もうという気にもならず、きっぱり「5000万円未満」を選んだわけですが、楽天の会員で、しかもポイント狙ってちまちまアンケート答えているような人に、年収が(世帯年収とはいえ)10億円を超す人がいるとは思えないんだが、まあ世の中にはいろんなおかたがいらっしゃいますからねえ。とりあえず恐れ入りました。……と書いたところでふと思ったんだけど、このアンケートってやっぱり一桁まちがってるよな。